あたらしいコート

その味がかなり好きなので、家で玄米を炊いて食べるようになりました。ただ、この炊き方で正解なのか否かというのがなかなか見えないのが問題。夜になると「酒」と大きく書いたちょうちんを灯す西荻窪の自然食屋さんが、面倒くさくなく楽しく美味しいところなので(何より近所)時々行くのですが、今のところ、そこの玄米の味をまねしようと練習中。美味しく炊くコツを見つけた方、そっと教えてください。そういえば今年、わたしのブームはお豆腐の食べ比べでした。テレビ埼玉で再放送している『美味しんぼ』のお豆腐の回を見て以来・・・単純すぎてすいません。ただ、少なくとも『ソイレントグリーン』の配給にだけは並びたくない!ヤダー。とりあえず、拳銃でめためたにされた血まみれの片腕を振り上げるところからはじめてみるか・・・。


ここ最近、最高にうれしかったことといえば、銀座で清水宏を4本観れたこと。これに尽きます。
うれしかった、とか気軽に書いていますが、観ている間はあまりのあまりっぷりに何も考えられなかった。『団栗と椎の実』や『花形選手』で冴え渡る清水節も最高でしたが、なんといっても『恋も忘れて』の衝撃が強すぎました。前半は堂にいったり清水節、という感じで、細やかでやさしくて涙がとまらずでしたが、後半からの容赦のなさたるや。涙さえでなかった。けんかする子供の足の裏の動きがあまりに綺麗で、あ、と思っているうちに物語りはとんでもない方向に舵を切る。一番印象に残るのは、清水宏が悪者を名指さないところ。ちょっと出てくるとしてもホテルの銭ゲバマダムくらいでしょうか。ガキ大将と子分たちは、ロフトのようなすてきなお家に緊張のあまりすぐに足を踏み入れないし、香水の回しかけ(!)に素直に陶酔する。文字通り「あーん」と声を上げて泣かせることで、こいつも子どもなんですよ、とそっと守ってみせる。本当に悪いものの根源は、日常の中に巧みに潜り込んだ小さな細かいものの積み重ねでできていて、目にははっきりと見えない。だけど、死をもって見せるほど、それははっきりとこの世に存在している。ラストに一瞬あらわれるこの世じゃないような風景が心の中から消えません。問題の深さは女とお金、かたぎではなくなった人の人生へと波及します。人生のはみ出しもの、とこの世では呼ばれる人々。だけど、「坊やを見て」というお母さんの匂い立つような優しさと、寝ている子どもにもちゃんと挨拶して帰るやくざものの男の清さは本物。映画がそれを寸分逃さず見つめている。この人たちの前に道が一本もないなんてことはあまりにやるせない。これが飲まずに帰れるか、と同行者と居酒屋に飛び込みましたが、お酒さえ喉を通りづらい夜でした。あまりにかわいい「シューマイ、シューマイ」の歌を歌いつつ、文芸座の清水宏特集を待っています。