遠近法

1月15日

ハイソックスを履いて生きていた頃は、嫌いなことがあれば昼日中ひとり公園でお弁当食べてりゃよかったんだし、それを大人は慈愛に満ちた目で見たりして「ナントカ」などと勝手に名付けるわけだけど、今日、自分が同じ目をして「ナントカ」を見てしまったことに初めて気がついて、反動で電車を降りてしまった。そこで予期せぬ駅のベンチに座り、缶コーヒーを開けてフウッとか自己愛のしゃぼんだまみたいな息を吐いて生きていけるほど頭が悪くなかったことを祝福しながら1分後に来た電車に乗車した。でも「ガンバ!」って念を送ったのは本当です、駅で見つけた入試の下見に来ていた制服姿(制服に黒いタイツがかわいかったから多分北国在住)の女の子!大学に入ると5月連休明けくらいからしなくなるタイプのポニーテールがとても似合っていた。私の学校は耳より高い位置に髪の毛を結ぶことを固く禁じられていたので(理由はひみつ)ビジュアル系ファンの子達は指定バッグにでっかいリーゼを入れて放課後には思う存分ポニーしていた(前髪を細い櫛で散らすタイプ)私は指定バッグにでっかいプリングルスサワークリームオニオンの缶を入れて、カーテンの中に隠れながら一枚づつ食べる遊びを仲良し内で内々に流行らせた。明日にはしなくなる今日だけが最高潮の遊びを毎日発明して本気でふざけて心底楽しかったなと思えるようになったのは本当にここ最近のことだったから、それが近年の一番の良きことだったかもしれない。

差別しない

12月18日

中学の卒業アルバムの話をしていたら「飲みもの最終です」と言われたので、目の前に現れるタクシーのドアが自動に空くのがうれしいがために上機嫌で乗車したら車内は「その家のにおい」で満たされていた。
寒さのモードの中で北風が最も恐怖であるので、陰惨ながらもたのしい夜を築く前の小公女セーラが港でお父様を見送る前のコートにそっくりなのを手に入れたけれど、今年のモードはエルニーニョで、東京メトロの中で浮いている私はポカリスエットを飲んでいる。
とにかく「その家のにおい」が嫌いだし不安になるから、コートの布地がたっぷりととってあることがこれ幸いで鼻元を隠しながら窓の外を見れば靴が一足落ちていて、中学受験の時に通った塾で「今日の努力をおひさまだけは見ています。お疲れさまでした!!!」という塾講師が大嫌いだったことを思い出しつつ、川辺にそのへんの葉っぱを流したはいいけどそのあとどうなるんだろうと夕ご飯を食べながら妹と不安になっていたことなどを思い出し、抑圧に疲れていたことをもう一度認識するから、記憶を消したくて運動の力に頼ろうと腕の筋肉を集中させて一息に窓を開けるボタンを押したら「暖房入れてるんで」とたしなめられた。

光に当たって光る

いもうとが「どうしてみたままに撮れないの」と、写るんですを片手に困り顔をしていたことがかわいくて懐かしいけれど、そんな大好きないもうととも共通言語が少なくなってきたことが年を重ねることなのかなとオータニのラウンジで思った家族のお祝い会だった。ヒールの沈むオータニの幾何学模様の絨毯がかわいくて記録写真を撮っていたけど、あれこれあれじゃないのと簡易カメラで映像を撮るとやっぱり面白く、着物をポンポンと魚をさばく手つきで面白く解して、あっという間にたたんで見せる母親の手草さえも隠し撮りしていたら、父親に「今ここで消しなさい」と命令されて、生まれて初めて人の前で映像を消した。

海浜の女王

7月24日

夏休み、ときくと、もうとっくに学生じゃないくせに、我こそは!と腕まくりするお調子者です。
大分前に大すきなホームページでとっても魅惑的に語られていた『海浜の女王』を、初夏の終わりの帰り道にフィルムセンターでみれたのはなんと幸せなことであったか。しかもショートバージョンとはいえ『モダン怪談100000000円』と同時上映だったなんてさ、特別な夜もあるもんです。ああ、楽しかった、かっこよかった、わくわくしたなア。海・浜・女王と字を読んでるだけでも気分がいいので、いらない紙を銀色のクリップで束ねた即席メモ帳の一番後ろの紙を、フィルムセンターの上映プログラムをプリントアウトしたのにしておいて、いつも机の上に置いている。海・浜・女王にモダンカイダンと綴った文字が眼に入っては「夏っていいなあ」と感慨にひたっているのです。夏、夏、夏。そんな中、今日は新しい洋服を買ったのでした。夏、夏、夏。

あたらしいコート

その味がかなり好きなので、家で玄米を炊いて食べるようになりました。ただ、この炊き方で正解なのか否かというのがなかなか見えないのが問題。夜になると「酒」と大きく書いたちょうちんを灯す西荻窪の自然食屋さんが、面倒くさくなく楽しく美味しいところなので(何より近所)時々行くのですが、今のところ、そこの玄米の味をまねしようと練習中。美味しく炊くコツを見つけた方、そっと教えてください。そういえば今年、わたしのブームはお豆腐の食べ比べでした。テレビ埼玉で再放送している『美味しんぼ』のお豆腐の回を見て以来・・・単純すぎてすいません。ただ、少なくとも『ソイレントグリーン』の配給にだけは並びたくない!ヤダー。とりあえず、拳銃でめためたにされた血まみれの片腕を振り上げるところからはじめてみるか・・・。


ここ最近、最高にうれしかったことといえば、銀座で清水宏を4本観れたこと。これに尽きます。
うれしかった、とか気軽に書いていますが、観ている間はあまりのあまりっぷりに何も考えられなかった。『団栗と椎の実』や『花形選手』で冴え渡る清水節も最高でしたが、なんといっても『恋も忘れて』の衝撃が強すぎました。前半は堂にいったり清水節、という感じで、細やかでやさしくて涙がとまらずでしたが、後半からの容赦のなさたるや。涙さえでなかった。けんかする子供の足の裏の動きがあまりに綺麗で、あ、と思っているうちに物語りはとんでもない方向に舵を切る。一番印象に残るのは、清水宏が悪者を名指さないところ。ちょっと出てくるとしてもホテルの銭ゲバマダムくらいでしょうか。ガキ大将と子分たちは、ロフトのようなすてきなお家に緊張のあまりすぐに足を踏み入れないし、香水の回しかけ(!)に素直に陶酔する。文字通り「あーん」と声を上げて泣かせることで、こいつも子どもなんですよ、とそっと守ってみせる。本当に悪いものの根源は、日常の中に巧みに潜り込んだ小さな細かいものの積み重ねでできていて、目にははっきりと見えない。だけど、死をもって見せるほど、それははっきりとこの世に存在している。ラストに一瞬あらわれるこの世じゃないような風景が心の中から消えません。問題の深さは女とお金、かたぎではなくなった人の人生へと波及します。人生のはみ出しもの、とこの世では呼ばれる人々。だけど、「坊やを見て」というお母さんの匂い立つような優しさと、寝ている子どもにもちゃんと挨拶して帰るやくざものの男の清さは本物。映画がそれを寸分逃さず見つめている。この人たちの前に道が一本もないなんてことはあまりにやるせない。これが飲まずに帰れるか、と同行者と居酒屋に飛び込みましたが、お酒さえ喉を通りづらい夜でした。あまりにかわいい「シューマイ、シューマイ」の歌を歌いつつ、文芸座の清水宏特集を待っています。

午後のソリティア

いま売っている『valon』という新刊雑誌に、みじかい文章を書きました。コラージュも載っています。お手に取って頂けたらうれしいです。おしゃれ情報はもちろん、カルチャーページも大変に充実した雑誌です。明日からがちょっと楽しくなるような記事が沢山載っていてわくわくしました。かわいい小西真奈美さんの表紙が目印です。

準備室

吉祥寺のおいしいカレー屋さん…まめ蔵に食事に行くときは、いつも「ピロスマニの席にあたるとラッキー」とセコい運試しをやってみる。『ピロスマニ』のワンシーンの写真…何度も洗ったであろう白いクロスがまじめに掛かっている小さなテーブルの上になんとも魅力的な食物が並んでいて、鈍く光る重そうなナイフとフォークを動かしていた画家の横顔が、小さな額に収まってそっと置いてある席。グルジアの料理ってどんな味?あー、興味津々。とかいいつつ、目の前に運ばれてきた大皿のチキンカレーをさっさと平らげるしあわせ。


きのう知ったことによると、加藤登紀子の『百万本のバラ』という曲の「貧しい絵描き」というのはピロスマニ、その人のことだそうです。わたしのお母さんが加藤登紀子のコンサートにホイホイ出かけて「百万本はまだか、まだか」と待っていたら、肝心のライブ版『百万本のバラ』はコールアンドレスポンス式だったそうで、しょんぼりしていました。登紀子さん「百万本のバラの花をー、SAY!」お客さん「あなたにあなたにあなたにあげるー、YEAH!」だったって。お客さんの声がママさん合唱団のようだったそうで、ちょっと面白かったです。いい話。


ハロウィンの衣装があちこちに並びはじめて、秋の気配。わたしだったら、絶対キャスパーやる。『パーフェクトワールド』を観て、まだ心が映画のそばにある。ヘボキャンピングカーに保証された、豊かな盗難車ドライブにいつまでも寄り添っていたくて堪らなくなる。お菓子おくれ!